こんにちは もねです。

日々の仕事や暮らしの中で、何だか心が消耗してしまったり、先の見えない不安に追われたりすることはありませんか。

毎日を一生懸命に生きているからこそ、ふと「自分は何のためにこんなに頑張っているんだろう」と立ち止まってしまう瞬間は、誰にでもあるものだと思います。

今日は少し重いテーマに感じるかもしれませんが、私が看護師として働く中で出会った、ある大切な記憶についてお話しさせてください。
この記事が、がんばりすぎて疲れてしまったあなたの心を、ほんの少し緩めるきっかけになれば嬉しいです。

新人の頃に出会った、忘れられない言葉

まだ私が看護師になりたての頃、血液内科の病棟で働いていたときのことです。
そこには、当時の私よりも若い患者さんが入院されていました。

ある日、その方がぽつりと、「ハンバーガー食べたいなぁ」と話してくれたことがあったのです。
食事制限があったため、好きなものをいつでも自由に食べられるわけではありませんでした。

「そうだよね、食べたいよね」「早く食べられる日が来たらいいね」と、私は何気ない会話を交わしました。
そのときは、また明日もそんな普通の会話が続くのだと、疑いもなく信じていたのです。

しかし次の日、私が病室へ向かうと、その方のベッドはきれいに折りたたまれていました。
私はしばらくその場から動くことができませんでした。
「昨日、あんなに笑顔でハンバーガーが食べたいって言っていたのに……」と、胸が締め付けられるようでした。

人としても看護師としても未熟だった私にとって、この出来事は今も心に深く刻まれています。

人は人生の限りを感じたとき、大きな夢や特別なことではなく、「ハンバーガーが食べたい」というような、とてもささやかで何気ない日常の願いを口にするのかもしれません。

本当に尊くて失いたくないものは、実はすぐ隣にある普通の毎日なのだと、ぼんやりと感じた経験でした。

人生の最後に、私たちが本当に望むこと

終末期ケアや医療の現場では、人生の終盤を迎えた方々から様々な想いが語られます。
そこでは、「もっと働けばよかった」とか「もっとお金を稼げばよかった」という言葉は、あまり聞かれないと言われています。

それよりも多く聞かれるのは、次のような心の声です。

1. もっと自分らしく生きればよかった

誰かの期待に応えるためだけの時間ではなく、自分自身の気持ちに素直に、納得のいく選択を重ねておけばよかったという振り返りです。他人の目を気にしすぎて、自分の本音を置き去りにしてしまうことは、私たちの日常でもよく起こりがちかもしれません。

2. 大切な人との時間を、もっと大事にすればよかった

仕事や目の前のタスクに追われていると、家族や友人、あるいは自分自身とゆっくり向き合う時間を後回しにしてしまうことがあります。しかし、本当に心を満たしてくれるのは、誰を愛し、誰と穏やかな時間を共有できたかという記憶のようです。

3. 外側の成功よりも、内側の納得感

人生の最後に残るのは、社会的な肩書きや目に見える成功ではなく、「自分なりに精一杯生きた」という静かな納得感なのかもしれません。
少し極端な視点に思えるかもしれませんが、日々の消耗から抜け出すための大切な指標だと感じています。

今この瞬間を、少しだけ愛おしむために

もし明日、人生の幕が閉じるとしたら。
そう想像すると、今目の前にある「当たり前」の景色が、少し違って見えてくる気がします。

何も特別なことを成し遂げなくても、大切な人と笑い合ったり、好きなものを美味しいと感じたりできる今日があること自体が、とても奇跡的なことなのかもしれません。
他人の基準に合わせて自分をすり減らす必要はなくて、あなたが「今日も心地よく過ごせた」と思える選択を、ひとつずつ選んでいけばいいのだと感じています。

完璧な人生でなくても大丈夫。
今この瞬間の、ささやかな幸せを大切にしながら、あなたらしい歩みを少しずつ進めていきましょう。
人生はいつからでも、何度でも調え直すことができます。

もね🌺